Q2 点字を作った人は誰ですか?

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   点字が作られる前はどうしていたの?
 目の見えない人でも、何とかして字が読みたいという気持ちは変わりません。
 日本でも、様々な工夫がありました。
 糸の結び目の数と位置でいろはを表すむすび文字、小さな紙の折り方と折る位置で表す折り紙文字、大小2種類のガラス玉にひもを通した通心玉、針で文字の形が作られ、紙に押し当てて文字を書く針文字などいろいろな工夫がなされていました。
 また、晴眼者が使っている普通文字を何とかして読めるようにならないかと、浮き上がらせて凸字を作るのに、陶器やかわら、木などの上に松ヤニやひもで形を作って浮き上がらせてみたりしてみましたが、どれも読みこなすのは大変でした。
  世界で初めて点字を作った人  ルイ・ブライユ
     
(Louis Braille 1809〜1852)  フランス人


 3歳で失明したブライユが、パリの盲学校で学んでいたときに、凸字の本に触れて指先でわかることに感激していましたが、徐々にその不便さを感じ、他に何か良い方法はないかと考えていました。
 そんな時に、シャルル・バルビエという人が作った12点で構成された点字に出会いました。
 でも、それは、大きすぎて指先に入りきらないことやうまく言葉を表すことが難しかったりで、何とか読みやすくわかりやすい点字ができないものかと研究を続けました。
 そして、1825年に6点点字を完成させました。それは大変規則的に構成され、すべてのアルファベットを表現できたり、いろいろな記号を書き表すことができる63個の点字を作りました。また、それはちょうど指先に入る大きさで、読みやすさという面でもすぐれていました。
 ブライユの点字は、仲間からはとても評判がよかったのですが、正式にはなかなか認めてもらえず、フランス政府が点字を公認したのは、ブライユの死後2年が過ぎた1854年のことでした。
 それから、長い年月の間に、ブライユの点字が世界に広まっていきました。
  日本の点字の発明者 石川倉治(1859〜1944)

 明治20年頃、アメリカやイギリス、フランスなどではいろいろなタイプの点字が使われていましたが、日本でもその情報を入手し、アルファベットに対応している点字を日本語でわかりやすく表せないかと研究が進められていました。その中で、ブライユの点字が注目され、東京盲唖(もうあ)学校の石川倉治氏が考案した点字配列が採用されることに決まりました。それは、1890年(明治23年)11月1日のことでした。
これを記念して、11月1日は日本の点字記念日となっています。
 石川倉治氏が作った日本の点字は、6点すべてを打った形から「目」の字をイメージして、そこから規則的に50音順に配列したもので、覚えやすく、速く読み書きできること、日本語のカナをすべて書き表せることなど、大変すぐれたもので、110年以上もたった今でも変わることなく使い続けられています。
         日本の点字の発展
 石川氏の作った点字には、最初「きゃ、きゅ、きょ」などの拗音はありませんでした。それは、明治の頃は普通の文を書くときにも拗音は使っていなかったからです(これを歴史的仮名遣いといいます)。でも、点字の世界では、「発音通りに書く」という方法をとっていましたので、明治31年に拗音が新たに加えられました。
 墨字の世界でも、大正、昭和と時代が移り変わっていく中で、発音通りに書き表す「現代仮名遣い」という表現方法に変わっていきました。言葉の書き表し方や日本語の表現方法は、時代の流れの中で常に変化しています。
 石川氏の作った63個の点字の形や配列は変わらなくても、点字で言葉を書き表すときの方法を時代に合わせて常に検討し、バラバラな表記をなくす必要があります。そこで「点字のきまり」を作って、全国で統一した書き方ができるようにしています。このきまりを作っているところが「日本点字委員会」です。